1948-05-18 第2回国会 参議院 司法委員会 第24号
かような裁判所の措置に対して疑惑を持たれたのでありますが、先ずその第一の疑惑は裁判所が一松大臣、つまり先程から言つております一松弘刑事の義父が、一松当時の厚生大臣でありましたので、裁判所が一松大臣を通じと何らかの政治的圧迫を受けたのではないかという点であります。即ち一松厚生大臣は民主党出身の閣僚でありますが、一松刑事は同大臣の末娘の婿に当つております。
かような裁判所の措置に対して疑惑を持たれたのでありますが、先ずその第一の疑惑は裁判所が一松大臣、つまり先程から言つております一松弘刑事の義父が、一松当時の厚生大臣でありましたので、裁判所が一松大臣を通じと何らかの政治的圧迫を受けたのではないかという点であります。即ち一松厚生大臣は民主党出身の閣僚でありますが、一松刑事は同大臣の末娘の婿に当つております。
この事件は同裁判所刑事第四部において審理されることとなり、裁判長松本勝夫判事、陪席判事は一松弘、伊東秀郎、この三人によつて構成される会議裁判所が審理を開始しました。第一回の公判期日は七月十五日に開かれ、爾後十三回の公判を経て、九月の十二日、第十四回公判期日において弁論が終結されて、余すところは判決言渡のみとなつたのであります。